Twitterの下書きを見たらずっと怒っていて、自分の負のエネルギーに飲み込まれそうだった。

今までずっと、周りが出来ることは大抵うまく出来なかった。だから「他人は他人」と割り切るしかなかった。一種の防衛反応だった。それは、周りがうまく出来ないことは大抵うまく出来ると気付いてからもそうだった。自分の目は解像度が高いから、他人の文章のブレやアイデアの乏しさが目についてしまうだけ。その代わり自炊だって掃除だって出来ない。他人は他人、適材適所、他人に頼むより自分でやった方がはやいことはぜーんぶ自分でやっちゃお!その代わりわたしが出来ないことにぶち当たったら助けてくれ〜!と思っていた。感情的な人間は醜いから、なるべく論理的に。ひとの気持ちは刻一刻と変わるし、昨日の私は他人だから、なるべく客観的に。世の中バカばっかりだから、なるべく噛み砕いて。だってわたしはアイドルになりたかった。完全無欠でトイレになんか行かない、愛想も良くて、生まれは魔法の国で、素性は一切わからない、それでもステージでは1番になれるアイドルになりたかった。三大欲求の匂いをひた隠しにした。ご飯もプリンばっかり食べて、人前で寝るのも避けて、高校時代は2年半付き合った彼氏の存在も隠していた。歌って踊らなくても、概念になりたかった。高校時代、友達に「エレベーターで知らん先輩が『村田ってトイレ行かなそうなんな』って話してたけど、あれ絶対なっちゃんのことよな!」と言われたあの瞬間が、人生で唯一概念になれた瞬間だった。昨日、彼氏に「人間味がなくて嫌だ」と言われた。「いつでも冷静で論理的、自分のことすら他人のことみたいに話す。常に他人のことをコケにして、崇高な人間でいようとする。」あーーーーーーーー全否定ですね 大丈夫です何回も反芻していますわたしは賢いから処理落ちなんてしません大丈夫です はじめて「お前」と言われたことも忘れてあげますだって人間は一時の感情に流されるから だってあなたは人間だから 人間だから多少汚い でもそこも知っている かなしい 泥みたいに縋ったら「変わったね」って離れていくくせに