わたしの愛を軽く見るな

天気の子もトイストーリー4も興味がない。いつも自分がどこにいるかすら分からなくなるほどめまぐるしい生活を望んでいるのに、止まると死んでしまうのに、勝手に忙しくなれるような趣味もない。だから食べて寝て文字を書いて読んでを繰り返している。馬鹿に合わせて、義務教育さえ受けていればわかるようなわかりやすう〜い言葉で喋ることに命を削っていたのに、馬鹿な言語に慣れた自分も馬鹿になっているみたいだった。短歌を読むのは好きだけど短歌を詠むことはできない。短歌はshort musicではない。感受性の死により、音楽をすることは16歳くらいまでに積み上げた文化的資産を切り崩すことと同義になってきた。andymoriJUDY AND MARYも新譜は出さないし、ライブもしない。スパガにあみたはいないし、モーニング娘。には鞘師もれいなもいない。スマイレージのオリジナルメンバーは全員卒業したし、嵐も活動休止するし、2019年に生きる私は過去を反芻するしか生き延びる道がない。アカシックも解散する。何も残っていない。やだなぁと感じるその感情すらも否定されると、短歌にある感情に左右されて生きることになる。他人の感情がわからない。その点わたしのことを好きな人は、好きという感情がわかりやすくて良い。まっすぐに愛してくれる人にまっすぐ愛されるだけがいい。他人の運転で目的地に行こうとするわたしを心底馬鹿にして嫌うひとがいるけど、運転手の運転手はわたしなのだ、と思う。それでも嫌いなら仕方ないけど。みんなが車に乗るのと何が違うのか全くわからない。免許を取らないわたしはどこまでいけますか。